以下、スタンフォード哲学百科事典の「Non-monotonic Logic」の項目の訳読メモ。なお、「Defeasible Reasoning」の項目も併せて読むとよさそうである(こちらにはデイヴィッド・ルイスの条件法論理の話も載っている)。
非単調論理(non-monotonic logic、NML)とは、撤回可能推論を捉え、表現するために作られた形式的な枠組みを言う。撤回可能推論というのは、さらなる推論の観点から結論を取り下げる権利を保持することによって、推論する者が暫定的に結論を出すような推論のことである。その例は数多く、帰納的一般化から、専門的見解に基づく推論のためのアブダクションにまで至る例がある。撤回可能推論は、日常的推論、専門的推論(医療診断など)、科学的推論に見られるものである。
撤回可能推論は演繹的推論と同様、複雑なパターンに従いうる。しかし、そのようなパターンは古典論理、直観主義論理、その他の演繹的推論として特徴づけられる論理の範囲を超えている。というのも演繹的推論はその本質からして推論を取り下げることが許されないからである。NMLの領域において取り組まれる課題は、古典論理や直観主義論理が数学的推論に与えたようなものを、撤回可能推論の形式に対しても与えることである。つまり、形式的に正確な説明を与えることである。しかもそれは実質的に妥当でなければならない。ここで実質的に妥当というのは、その枠組みによってどれほど広範な例が取り込まれているかという問題に関連しており、またその枠組みが主題における直観(の、少なくともよく定着しているもの)を正当化しうる範囲に関連している。
1. 撤回可能推論のダイナミクスの取り扱い
撤回可能推論は、推論の取り下げを可能にするという点で動的である。たとえば、正常性や典型性の仮定に基づいて推論を行なう。トゥイーティーが鳥であるという情報と鳥が通常飛ぶ背景知識に基づいてトゥイーティーが飛ぶことを推論しているとき、トゥイーティーがペンギンかキウイであることを学んだならば、この推論を取り下げるのに十分な理由があることになる。
もう一つの例は、アブダクションである。道路が濡れているという観測から、最近雨が降っているとの説明が推測されるかもしれない。しかし、このままの日に道路が掃除され、屋根の上が乾いていることを思い出したとすれば、この推論を取り下げることになる。
最後の例として、「XはAであり、AのほとんどはBである」から「XはB」を推論する確率論的推論をとる。明らかに、われわれはXがBであることに関して例外的なAであることを知ることができる。
これまでの例は、拡充的な(ampliative)推論の例である。これは、推論に基づいているが、その前提の真理性は、演繹的推論のように結論の真理性を正当化するものではないが、それにもかかわらず前提が真であったとき結論はほとんどの・典型的な・その他の場合、保持される。
撤回可能推論は、推論が演繹的ないし真理保存的であるにもかかわらず撤回可能である、という点で是正的な特徴を有するかもしれない[古典論理に対して是正的]。われわれが複雑な全体のΓ(例えば、数学的または科学的理論、または法律のコード)に基づいて古典的に推論するとする。Γが無矛盾であるかどうか(すなわち、矛盾が導き出せるかどうか)がわからない場合、推論を導くために注意深い理論的根拠を採用するかもしれない。Γの最小的に矛盾した部分集合(すなわち、矛盾する真部分集合をもたない矛盾した部分集合)に属さない場合、Γに属する式φを自由である(free)と言おう。古典論理の推論は、自由ではない前提に依存しているとすぐに取り消される。このようにして、われわれは前提条件の集合の無矛盾な部分に基づいて導出可能な結果のみを受け入れる。その結果は自由な結果(free consequences)として知られている(Benferhat et al.(1997))。例えば、p、q、s、tが論理的な原子であり、Γ= {p∧q、¬p、s∧t}の場合、p∧qはΓで自由ではないので、p∧qからのqの推論は取り消されるが、s∧tからのsへの推論は可能である。拡充的推論とは対照的に、各推論[p∧qからのqの推論と、s∧tからのsへの推論]はCLに従っており、従って演繹的である。しかし、矛盾した理論において、すべての演繹的推論が受け入れられるものではない。
撤回可能推論の共時的な(ないし外的な)ダイナミクスと呼ばれてきたものに、多くの学術的な関心が払われてきた。このために、推論は新しい情報を得た結果取り下げられる。形式的には、これは、妥当な推論の論理的帰結関係⊢によって表現することができる。例えば、CLの論理的帰結の関係⊨についての演繹的推論の特徴である以下の性質を考えてみよう(関係⊨の詳細については、古典論理の欄を参照)。
- 単調性:Γ⊢ϕならばΓ∪Γ′⊢ϕ
単調性が言っていることは、ϕがΓの帰結であれば、ϕはΓを部分集合として含むどんな集合の帰結でもあるということである。帰結関数Cn(•)をCn(Γ) = {ϕ ∣ Γ⊢ϕ}によって定義するならば、単調性を以下のように表現することもできる。
- ϕ ∈ Cn(Γ) ならば ϕ ∈ Cn(Γ∪Γ′)
CLでは、単調性は関係⊨の性質から直ちに導かれる。というのも、Γのすべての文が真であるすべての解釈についてϕが真であるとき、Γ⊨ϕが正確に保持されるからである。
単調性の導入とは、新しい前提を追加することによっては結論を阻止(pre-empt)することができなくなる、ということである。明らかに、撤回可能推論の形式は外的に動的なものであり、それゆえに撤回可能推論の論理は単調性に反する。この特徴はきわめて中心的なものであり、撤回可能推論の形式論理学的な研究が、非単調性が論理の帰結関数の特性として理解されるNMLの領域と同一の広がりを持つものとして、しばしば受け取られるほどである。
外的なものの隣には通時的な(ないし内的な)ダイナミクスも存在することに留意されたい。そのダイナミクスは、新しい前提について新しい情報を追加することなく、しかしその前提をさらに分析することによってその前提についてより多くの情報を見つけるがゆえに、推論を取り下げた結果である。
帰結関数の性質としての非単調性に話を戻そう。単調性がNMLsに放棄されていることを考えると、われわれは当然、単調性に代わる形式的な性質とは何かという問いに辿り着く。われわれはここで、文献の中で最も重要な特性の二つを挙げる。
- 慎重な単調性(Cautious Monotony):Γ⊢φ かつ Γ⊢ψ ならば、 Γ,φ⊢ψ
- 合理的な単調性(Rational Monotony):Γ⊢ψ かつ 「Γ⊢¬φでない」ならば、 Γ,φ⊢ψ
慎重な単調性と合理的な単調性(こちらはより強力な原則である)の両方は、単調性の特別なケースであり、したがって、CLの古典的帰結関係⊨に自分自身を制限する限り、これらの単調性は最前面にはない。
慎重な単調性はカットの逆(converse)である。
- カット:Γ⊢φ かつ Γ,φ⊢ψ ならば、 Γ⊢ψ
慎重な単調性(カット)は、前提の集合Γに結果φを加えることは、推論力の減少(増加)をもたらさないことを述べている。これらの原則をまとめると、推論は累積的な活動であることが表現されている。すなわち、結論を出したら、その結論を保ちながら今度はそれを、結論の集合に影響を与えることなく、追加の前提として使用することができるということだ。Gabbay(1985)では、非単調な推論に関するいくつかの基本的かつ直観的な仮定は、慎重な単調性、カット、反射性(Reflexivity)(ψ∈ΓならばΓ⊢φ)を満足する帰結関係を生むことが示されている。したがって、これらの性質は一般にNMLの中心原則と見做される。
合理的な単調性は、Γに矛盾しない式(つまり、Γ⊢¬φでない式)φをΓに加えても、Γの結論は失われないことを述べている。合理的な単調性は、慎重な単調性よりも議論の余地のある性質である。たとえば、Stalnaker(1994)は、合理的な単調性の反例を示している(補足資料を参照)。この考えによれば、明らかに、どんな適用の文脈においても合理的な単調性は撤回可能推論の望ましい性質である、というわけではないという。
2. 衝突の取り扱い
非単調な帰結関係の形式的な性質とは区別されるような問題がある(それと厳密に絡み合っているのではあるが)。それは、潜在的な撤回可能帰結どうしの衝突をどのように扱うかという問題である。
撤回可能推論において扱われる二つのタイプの衝突を区別することができ、その両方について以下でさらに詳細に説明する。一方で、われわれは、特別法優先原理(the Specificity Principle)とか議論の強さの他の尺度といった衝突解決の原理を持っている。他方、われわれは、解決できない衝突(最も顕著なのは、信じやすい推論と懐疑的な推論)を異なるしかたで扱う推論のタイプを持っている。本章では、抽象的なレベルにとどまる。具体的なNMLについては「非単調な形式」のセクションで説明する。
2.1 衝突の解決
与えられた非単調な枠組みの中で起こりうる二つの異なる種類の衝突がある。(i)撤回可能結論と「強固な事実(hard facts)」との間の衝突。(ii)潜在的な撤回可能結論と他のものとの間の衝突(例えば、多くの形式はある種の撤回可能推論規則を提供するが、そのような規則は矛盾した結論を有するかもしれない)。(いずれかの種類の)衝突が発生した場合、一貫性を維持または回復するための措置を講じる必要がある。
タイプ(i)の衝突は、矛盾する撤回可能結論が取り下げられるという意味で、強固な事実を支持して解決されなければならない。より興味深いのは、タイプ(ii)の衝突を解決するメカニズムである。これらを解析するために、図式的な推論グラフを使用する(継承ネットワークで使用されているものに似ている。以下を参照)。例えば、Tweetyという鳥を特徴とする前の例は、以下のように説明される。
二重矢印は演繹的ないし厳密な(すなわち、撤回可能でない)推論を意味し、一重矢印は撤回可能推論を意味し、取り消し線ありの一重矢印は、矢印の先にある式の否定が撤回可能な仕方で含意されることを意味する。それゆえ、次のようにダイアグラムを読むことができる:ペンギンは鳥である(例外なく)。鳥は通常飛ぶ。ペンギンは通常飛ばない。
われわれは、以下の二つの論証(ここで論証とは推論の連なりである)の間に衝突がある。Penguin ⇒ Bird → fliesと Penguin → not-fliesとの間である。二つの議論にはともに、最終的な撤回可能推論が含まれている。注目すべき重要なことは、ペンギン⇒鳥(「鳥⇒ペンギン」ではない)であるため、ペンギンは特定のタイプの鳥だということだ。特別法優先原理によれば、より具体的な先行者との推論は、より具体的でない前提との矛盾する撤回可能推論を上書きする。それゆえペンギンTweetyに関してわれわれは、Penguin ⇒ Bird → fliesに基づいてTweetyは飛行すると推論するのではなく、Penguin → not-flieに基づいてTweetyは飛行しないと推論するのである。
論理学者は、強い特別法優先性と弱い特別法優先性とを区別する。強い特別法優先性によると、A ↛ CはA ⇒ B → Cを上書きする。弱い特別法優先性によると、A ↛ CはA → B → Cを上書きする。その違いは、AとBの間のつながりの性質に関係している。
一つの撤回可能推論A→Bに対する他の矛盾する一つのC→Dに対する優先度は、[特別法優先原理以外の]他の要因にも依存し得る。たとえば、認識論的な文脈では、A→BとC→Dの強さを、それぞれの条件的知識[conditional knowledge]が由来する情報源の信頼性に訴えて比較することができる。法的推論の文脈では、われわれはlex superiorの原理とlex posteriorの原理とをもっているかもしれない。前者の原理は上位の法[憲法とか?]を支配的なものとするというもの、後者の原理は後に発行された法を支配的なものとするというものである。
選好関係≺を用いて、撤回可能推論の段階の強さを比較する方法が与えられた場合、矛盾する一連の推論(論証)の強さをどのように比較するかという問題が依然として存在する。いくつかの例を挙げよう。NMLにおける選好処理メカニズムの体系的な調査および分類のために、興味のある読者は、Delgrande et al.(2004)。
最弱接続原則[the Weakest Link Principle](Pollock(1991))によれば、その最弱な撤回可能なつながりが競合する論証の中で最弱な撤回可能なつながりよりも強い場合、ある論証が別の競合する論証よりも優先される。たとえば、次の図の状況を考えてみよう[底辺層のやつらが最も強くなるようなやつを選ぶ]。
左には二つの相反する議論を持つ推論グラフがある。右は、選好順序を見てほしい。論証A → B → Eは、C → D ↛ Eより強い。というのも、最も弱いリンクD ↛ Eに対し、D ↛ E ≺ A → BとD ↛ E ≺ B → Eという選好があるからだ。
選好への別のアプローチは手続き的なものである。おおまかに言えば、つねに最も優先度の高い規則を最初に適用するように指示する(優先順位が最も高いこのような規則はいろいろあるかもしれないが、簡単にするために以下ではこの可能性を無視している)。論文で頻繁に議論されている次の例を参照されたい。A → B、 A ↛ C、 B → C(このときA → B ≺ A ↛ C ≺ B → Cとする)という規則があるとし、Aが与えられたとする。A → B と A ↛ Cを適用することができる。A → B ≺ A ↛ Cなので、まずA ↛ Cを適用して¬Cを導出する。今やA→Bのみが適用可能である。それゆえBが導出される。B→Cの前件はすでに導出されているが、無矛盾性のことを考えると、この規則[B→C]を適用することはできない。Brewka and Eiter(2000)は手続き的アプローチに反対し、BとCを導出するほうが直観的であると主張する。DelgrandeとSchaub(2000)は、この例は規則的ではないルールを提示すると主張する。これはHorty(2007)の中で問題とされ、結論BとCを支持することによって手続き的アプローチに挑戦する条件的命法の観点からの一貫した義務的な読みが提示される。
Ford(2004)は、論証における厳密なリンクと撤回可能なリンクの順序が重要であると指摘した。例えば、FordはA→B⇒Dの論証は、A⇒C↛Dよりも強いと主張した(A→Bは「ほとんどのAはBである」、A⇒Cは「すべてのAはCである」)。その理由は、前者の場合、どんなAもDでないことは不可能であるが、後者の場合は、どんなAも¬Dでない可能性があるからである。これを次の図に示そう。
左の図は、A⇒CとC↛Dが成り立っているが、どんなAも¬Dでないという配分が存在することを示している。右の図は、A→B⇒Dの配分を示しています。Aの外延が空でないときはいつでも、少なくとも一つのAはDである。
2.2 解決できない衝突を伴う推論
どんな利用可能な解決原理も適用されないため解決できない衝突を考慮して生じる問題について議論する。推論を「慎重」または「大胆」(それぞれ「懐疑的」、「信じやすい」とも呼ばれる)のやり方で描くことができる。これらの二つの選択肢は、撤回可能な知識の体系[body]を解釈するための著しく異なる方法に対応し、そのような知識ベースに基づいて撤回可能な結論が保証されるかどうかについて異なる結果をもたらす。
これらの基本的な態度の違いはこれにある。潜在的に矛盾する撤回可能推論の存在下で(そして上記のような特別法優先性のようなさらなる考慮がなければ――上を参照)、信じやすい推論者はつねに無矛盾性の要求の影響下でできるだけ多くの撤回可能な結論にコミットする。一方、懐疑的な推論者は、潜在的に矛盾する撤回可能な結論から同意しない。
諸論文における有名な例、いわゆる「ニクソンダイヤモンド」は、区別を明確にするのに役立つ。われわれの知識ベースには、特定の個人(ニクソン)がクエーカーと共和党の両方であるという主旨の(撤回可能な)情報が含まれているとする。共和党員は全体的にはそうではないが、全体としてクエーカー教は平和主義者である。これを次の図に示す。
問題は、この知識体系に基づいて妥当な結論が保証されるかどうか、特にニクソンが平和主義者であると推論すべきなのかそれとも彼が平和主義者ではないと推論すべきなのかである。
懐疑的な推論者か信じやすい推論者かにかかわらず、どちらかの結論(「ニクソンは平和主義者」、「ニクソンは平和主義者ではない」)を優先する論理的根拠はない。信じやすい推論者は両方の結論にコミットするが、懐疑的な推論者はいずれかへのコミットは差し控える。
信じやすい推論タイプの背後にある論理的根拠は、後でそれらの中から選択するために、矛盾する撤回可能な推論から与えられる可能的な結論を概観することである。これは、その選択が行為の方向を決定し、(嗜好、価値などに基づく)超論理的考察が選択肢をさらに狭める現実的な推論の文脈において特に興味深い。
対照的に、懐疑的な推論タイプの背後にある理論的根拠は、競合していない撤回可能な結論を決定することである。その目的は、選択された結論を用いてエージェントの信念や知識ベースを更新するなど、より認識論的な性質のものであると考えられる。
2.3 懐疑的な推論に対するいくつかの発展的な課題
矛盾する論証の中で生じるいくつかのさらなる問題について議論する。最初の問題を次の図に示そう。
Penguin ⇒ Bird → has wingsという論証を考えてみよう。ペンギンは飛ばないので、ペンギンは飛行の性質に関して少なくとも例外的な鳥であることがわかっている。非常に慎重な推論者は、このことが、鳥の他の典型的な特性をペンギンに帰すことについて懐疑的な理由になると思うかもしれない。has wingsの導出を許さないNMLは、溺水問題[the Drowning Problem]に苦しんでいるとか、強依存性[the Strong Independence property]を満たさないなどと言われる。
Penguinという、fliesと比べて例外的なステータスが、Birdの他の性質たち[翼があるなど]にも広がるべきかどうかという問題は、これらの特性の間の特定の関連性の関係に依存する可能性がある。例えば、Koons(2014)は、因果関係が役割を果たすことを提案している。has strong forlimb muscles[前肢の筋肉が強い]はfliesと因果関係があり、したがって[前肢の筋肉が強いことは]ペンギンに起因すべきでないが、is cold-bloodedについては状況が異なる。同様に、Pelletier and Elio(1994)は、推論者が非単調推論における例外的な情報を扱う方法において、説明的関係が重要な役割を果たすと主張している。
多く議論されている別の問題(e.g., Ginsberg (1994), Makinson and Schlechta (1991), Horty (2002))は、二つの矛盾する論証を介して導かれるような結論は導かれるべきかどうかという問題である。そのような結論は浮動結論[Floating Conclusions]と呼ばれる。次の図は、これをNixon Diamondの拡張版で示している。
問題となっている浮動結論にとって、is politicalが重要である。これはNixon → Quaker → Dove → is political と Nixon → Republican → Hawk → is politicalという推論によって導かれる。どちらの論証も、Nixon → Quaker → Dove と Nixon → Republican → Hawkという衝突したスーパー論証[super-argument:ある推論を含むより大きな論証のこと?]である[doveはハト派・穏健派。hawkはタカ派・強硬派]。Horty(1994)は、「ある浮動結論が正しくないと判明した場合に含まれるコストと比較して、その浮動結論を導くほうが価値が高い」ような推論の文脈では、浮動結論は受け入れられるが、ただし「エラーのコストが上昇した場合」には浮動結論を回避すべきであると主張する(123頁)。
いわゆるゾンビ・アーギュメント(Makinson and Schlechta(1991)、Touretzky et al.(1991))に関する議論をもって話の結びとしよう。懐疑的な推論者は、矛盾する論証にはコミットしないことを思い出してほしい。MakinsonとSchlechta(1991)は、そのような衝突した論証のスーパー論証は――それ自体は受け入れられないにもかかわらず――、しかしまだ他の衝突していない論証への推論者のコミットメントを弱める力を持っていると主張する。次の図の例を参照されたい。
Fは、(衝突していない)論証A→C→E→Fの結論である[ここではDと¬Dで矛盾するのでDに関してはコミットしていない]。Fという結論は、衝突したA → B → Dのスーパー論証であるゾンビ・アーギュメント A → B → D ↛ F と衝突している。その名前[ゾンビ・アーギュメント?]は、アンデッドの存在を指すものである。というのも、A → B → D ↛ Fのような、コミットしていない論証が、A→C→E→Fのように論証に影響を与える力を持つ可能性があるからである。
3. 非単調性の形式化
NMLの分野における先駆的研究は、撤回可能推論の数学的に正確な特徴づけを与えるためにはCLは不十分であるという認識から始まった。そのような実現には、数学的ないし形式的な推論の表現においてCLの成功を再現する努力が伴った。1970年代後半のパイオニアのなかにはJ. McCarthy、D. McDermott & J. Doyle、R. Reiterらがいる(Ginsberg(1987年)、Gabbay et al.(1994年)の最新の優れたサーベイ論文のコレクションを参照のこと)。1980年、人工知能誌[the Artificial Intelligence Journal]は、これらの新しい形式化に特化した問題(第13巻、1980年)を発表した。これはNMLの「時代到来」とみなされている。
本節では、いくつかの重要な形式化について概要を説明する。NMLの進化の木は非常に豊かに成長しているため、われわれは最も影響力があり、よく知られているアプローチの背後にある基本的なアイデアの提示に焦点を絞る。
3.1 閉世界仮説
非単調論理の目標の一つが、撤回可能推論の実質的に十分な説明を提供することであるならば、重要なことは、直観を導き、しかも直観に磨きをかけるような、豊かな例を頼りにすることである。データベース理論は、特に閉じた世界の仮定に関して、そのような例の最も初期の源の一つであった。旅行代理店がフライトデータベースにアクセスし、オシュコシュからミンスクへ行く最善の方法についてクライアントの質問に答える必要があるとする。代理店はデータベースに照会し、予想通り直行便がないと応答する。旅行代理店はどのように[オシュコシュからミンスクへの直行便がないことを]知るのか?
強い意味で「知っている」と言うとき、旅行代理店はそのような便がないことを知らないことは明らかだ。ここで働いているのは、データベースは完璧であるということ、そしてデータベースには二都市間の直行便が記載されていないため、そのような直行便は存在しないということ、こういう暗黙の仮定である。このプロセスを見るための有益な方法は、一種の最小化、すなわち与えられた述語の外延を最小限にする試み(述語とはこの場合、「〜間の飛行」)である。さらに、矛盾の刑に処すという条件で、データベースが明示的に含んでいるものではなく、それが含意しているものに関して、そのような最小化が行われる必要がある。
最小化の考え方は、最も初期の非単調論理の形式化の一つであるマッカーシーの限定[circumscription](McCarthy(1980))の基礎になっている。circumscriptionとは、他のすべての条件が等しいならば、ある述語の外延は最小限でなければならないという直観を明示化するものである。「すべての普通の鳥は飛ぶ」などの原理を考えてみよう。この原理には、肯定的な情報がない限り、標本は異常ではないと考えるべきだという考え方が含意されている。McCarthyの考えは、二階論理(SOL)を使って形式的にこれを表現することであった。SOLでは、一階論理(FOL)とは対照的に、∃P∀xPx(「普遍的な述語がある」)や∀P(Pa≡Pb)(「aとbは区別できない」)などの文を形成する述語を明示的に定量化することができる。
circumscriptionでは、与えられた述語PおよびQを、∀x(Px ⊃ Qx)をP≤Qと略記する。同様に、P≤Q ∧ ¬(Q≤P)をP<Qと略記する。A(P)が述語Pの出現を含む式である場合、AにおけるPの限定は以下の二階の文A*(P)である。
A(P) ∧ ¬∃Q[A(Q) ∧ Q<P]
A*(P)は、PはAを満たすが、[Pの箇所に別の述語を当てはめるとき、そこに当てはめうる]より小さい述語は存在しないと言っている。Pxを述語「xは異常である」とし、A(P)を「異常でないすべての鳥は飛ぶ」という文とする。このとき、A*(P)を伴う「Tweetyは鳥である」という文は、「Tweetyは飛ぶ」を含意する。というのも、限定公理はPの外延を強制的に空にするので、「Tweetyは普通である」は自動的に真となるからである。