梗概 ジョン・ホーティの複数行為者義務論理を主観的効用に関する道徳的推論に拡張することで、われわれは、「行為者の集団Gは集団Fの関心においてφであるよう取り計らうべきである」のような文に関する道徳的推論の研究をするための言語と意味論とを与える。われわれは、囚人のジレンマの新しい形式的分析とともにわれわれの義務論理を説明し、それによって、ゲームはわれわれの義務論理により実り豊かに研究されうることを示す。最後に、われわれは義務の衝突に関する特徴的な定理を証明する。
1. Introduction
かつてJ・L・オースティンは「何が良い/悪い行為か、何が正しい/間違っている行為か、を考える前に、『行為をする』『何かをする』という表現によって何が意味されているのか・意味されていないのかを考えるのが適切だ」と提案した。同様の文脈で、G・H・フォン・ウリクトは、義務論理にとって行為論理は必要条件だと見做した。十分に洗練された行為論理が欠如していたため――フォン・ウリクトの提案は先駆的だが原始的であった――、オースティンの提案は義務論理学者の応答をほとんど見出せなかった。しかしながら、過去20年に渡って、(様相)行為論理は目覚ましい発展を遂げてきた。その発展のうちには、行為者性の基本的概念に対する哲学的探求や、stit理論1として知られるさまざまな様相行為論理の(メタ)論理学的探求が含まれている。
Agency and Deontic Logic (2001) という画期的な著作において、ジョン・ホーティはフォン・ウリクトの行為論理を現代的なstit理論に置き換えており、義務論理に重要な貢献をなしている。客観的効用および意思決定理論からの支配概念をstit理論の基礎として、ホーティは⦿[Γ cstit: A]という形の義務文に対する新しい意味論を開発している。⦿[Γ cstit: A]は、直観的には「(行為者の)集団ΓはAであるよう取り計らうべきである」と解釈される。
本稿でわれわれはホーティの義務論理を主観的効用へと一般化する。ホーティの客観的効用と異なり、われわれの義務論理では、まったく同一の評価指標が異なる行為者の異なる効用をもちうる。さらに、ホーティには申し訳ないが、われわれは「義務文はつねにすべての行為者の効用の観点から評価されなければならない」とは仮定しない。したがって、義務文を評価する際には誰の効用が評価に関係しているのかをわれわれは知る必要がある(評価に関係する効用をもつ集団のことを「利害関係集団(interest group)」と呼ぶことにする)。したがって、われわれの義務論理の基本的表現は$\odot^\mathcal{F}_\mathcal{G}\phi$だということになる。これは直観的には、「集団Gは、集団Fの関心においてφであるよう取り計らうべきである」を意味する。
われわれの義務論理に主観的効用と利害関係集団を導入する利点の一つは、結果として得られる複数行為者義務論理によって一回限りのゲームを著しく詳細に分析することが可能となる点である。この主張を立証するために、囚人のジレンマの分析を行なう。両方の行為者は彼ら自身の関心においては自白すべきだが、両方の行為者は集団的関心においては自白すべきでない、ということが意味論によって示される。したがって、利害関係集団に依存して、行為者は義務の衝突をもちうる。義務の衝突の必要条件・十分条件を形式的に特徴づけて、われわれはこの複数行為者義務論理の説明を終える。それによって、倫理学理論にとっての中心的な問題に形式的な答えが与えられることになる。
第二節で複数行為者義務論理の導入を行なう。われわれは言語と意味論を与え、囚人のジレンマとともに意味論の説明をする。第三節では、義務の衝突の状況だけが起こりうる状況を特徴づける。第四節で、結論を述べる。
2. Multi-agent Deontic Logic
ある状況に対して異なる行為者(の集団)が異なる効用をあてがいうるような複数行為者の文脈において、道徳的推論の形式化は行なわれてこなかったように思われる。そこでわれわれは主観的効用と利害関心を導入する。簡略化のために、分岐時間モデルを省略して一つの時間しか存在しないようなモデルを考えることにする。
2.1 Language
定義1 言語$\mathfrak{L}$は、命題変項の可算集合$\mathfrak{P}$と個人の行為者の有限集合$\mathsf{A}$とから構成される。$p\in\mathfrak{P}$とする。$\mathcal{F,G}\subseteq\mathsf{A}$とする。$\mathfrak{L}$は次の規則で与えられる。
$$ \phi ::= p\mid \lnot\phi\mid \phi\land\phi\mid \Box\phi\mid [\mathcal{G}]\phi\mid \odot^\mathcal{F}_\mathcal{G}\phi $$
- $\Box\phi$ φであることは必然的だ。
- $[\mathcal{G}]\phi$ 集団Gはφであるよう取り計らう。(チェラス‐フォン・クッチェラ型stit様相)
- $\odot^\mathcal{F}_\mathcal{G}\phi$ 集団Gは、集団Fの関心においてφであるよう取り計らうべきだ。
「『べき』は『できる』を含意する」というカントの法則は、$\odot^\mathcal{F}_\mathcal{G}\phi \to \Diamond[\mathcal{G}]\phi$(集団Gが集団Fの関心においてφであるよう取り計らうべきならば、集団Gはφであるよう取り計らうことが可能だ)と形式化できる。これはわれわれの意味論において妥当式である。
2.2 Agency and Ability
単一の行為者aの行為を、aの可能な選択肢集合からのオプションの選択として表現する。aの可能な選択肢集合($\mathsf{Choice}(a)$と書く)は、可能世界の集合$\mathsf{W}$の分割である。$\mathsf{Choice}(a)$の要素を$a$の「選択(choice)」と言うことにする。さらに、どの行為者aに対しても、aのすべての選択は現実の選択肢である。すなわち、aのどの選択も、他の行為者の選択によって妨害されることはない。形式的にはこの要求は、「各々の行為者の選択したオプションのどの可能な組み合わせの共通部分も、空集合ではない」を満たすことで実現できる。
定義2(個人の行為者の選択) $\mathsf{W}$は可能世界の集合、$\mathsf{A}$は行為者の有限集合だとする。このとき、$\mathsf{Choice}: \mathsf{A}\mapsto\wp(\wp(\mathsf{W}))$が$\mathsf{A}$の選択肢関数(choice function)であるのは、次を満たすときである。
- どの$a\in\mathsf{A}$に対しても、$\mathsf{Choice}(a)$は$\mathsf{W}$の分割である。
- どの行為者$a\in\mathsf{A}$に対しても$s(a)\in\mathsf{Choice}(a)$であるような任意の選択関数(selection function)$s: \mathsf{A}\mapsto \wp(\mathsf{W})$に対して、$\bigcap_{a\in\mathsf{A}}s(a) \not= \emptyset$
[s(a)は一個の選択肢ないし行為。2.の要請を直観的に述べると、「各々の行為者がどんな行為を選ぼうとも、その行為の結果が空集合となることはない」、すなわち「行為者たちはそれぞれ、他者がどんな行為を選ぶかとは関係なく、自分がもつどの行為も選ぶことができる」となる]
[行為するとは可能世界を制限することにほかならない、という発想が意味論の根底にある。行為の選択肢は諸可能世界の分割として与えられる]
定義3(集合的選択肢関数) $\mathcal{G}\subseteq\mathsf{A}$とする。$S$は、任意の$a\in\mathcal{G}$に対して$s(a)\in\mathsf{Choice}(a)$であるような、そんな選択関数$s: \mathcal{G}\mapsto\wp(\mathsf{W})$の集合であるとする。このとき、次のように定義する。
$$ \mathsf{Choice}(\mathcal{G}) = \left\{ \bigcap_{a\in\mathsf{A}}s(a): s\in S \right\} $$
[要するに、それぞれの行為者の選択肢を単純に組み合わせたものが集団の選択肢。二人からなる集団があり、二人が各々3個の選択肢をもっていたとすると、その集団の選択肢は3×3で9個(単純に考えれば。ただし異なる選択肢の組み合わせが同じ結果を生むこともあるはずなので、個数はそう単純に倍々にはならないだろうが)]
定義4 $\mathcal{G}\subseteq\mathsf{A}$とする。選択同値関係$\sim_\mathcal{G}\in W\times W$は次のように定義される。
$$ w\sim_\mathcal{G}w' \iff \exists K (K\in\mathsf{Choice}(\mathcal{G})\text{ and } w,w'\in K) $$
$w\sim_\mathcal{G}w'$であるとき、$w$と$w'$は$\mathcal{G}$にとって選択同値(choice-equivalent)であると言う。
選択同値関係は$[\mathcal{G}]$様相の意味論を提供してくれる。
2.3 Utilities
行為が正しいかどうか、あるいは行為が他の行為よりも良いかどうかを決定するために、われわれはホーティに従って帰結主義的アプローチを採る。
われわれは、可能世界へ付与される価値を、ゲーム理論的・経済学的な意味での効用と見做す。この見解によれば、同じ世界に対して、異なる行為者が異なる価値を付与しうることは明らかだ。帰結主義的規範理論、とりわけ功利主義は、これらの効用を行為の価値を決めるのに用いる。世界の価値は、道徳共同体の一部として見做される個人と、道徳共同体のメンバーの各々に付与されるような相対的重みづけの、両方に依存している。本稿では、どの個人が道徳共同体のメンバーであるかについては考察しないままにするが、簡略化のために、われわれは道徳共同体に属する各々の個人の関心を等しいものとする。したがって、われわれは行為者集団の効用関数Uを次のように定義することによって拡張する。
$$ \mathsf{U}_\mathcal{G}(w) = \frac{1}{|\mathcal{G}|}\sum_{a\in\mathcal{G}}\mathsf{U}_a(w) $$
ここで$|\mathcal{G}|$は$\mathcal{G}$の濃度である。また、$\mathsf{U}_\emptyset(w) = 0$とする。
2.4 $\mathcal{F}$-Dominance
本節では、F支配($\mathcal{F}$-dominance)という概念を定義・探求していく。この概念が$\odot^\mathcal{F}_\mathcal{G}\phi$という形の論理式に対する意味論にとって中心的なものとなる。
$K$と$K'$がともに$\mathsf{Choice}(\mathcal{G})$に属するとすると、$K\succeq^\mathcal{F}_\mathcal{G}K'$が真であるのは、$K$が少なくとも$K'$と同じくらい集団$\mathcal{F}$の利益を促進する($\mathsf{A}-\mathcal{G}$がどんな行為をしようとも)ときかつそのときに限る。
定義5(F支配) $\mathcal{F},\mathcal{G}\subseteq\mathsf{A}$とする。$K,K'\in\mathsf{Choice}(\mathcal{G})$とする。このとき、$K\succeq^\mathcal{F}_\mathcal{G}K'$は次のように定義される。
$$ K\succeq^\mathcal{F}_\mathcal{G}K' \iff \text{for all }S\in\mathsf{Choice}(\mathsf{A}-\mathcal{G})\text{ and for all }w,w'\in\mathsf{W},\, w\in K\cap S\text{ and } w'\in K'\cap S\text{ ならば }\mathsf{U}_\mathcal{F}(w)\geq\mathsf{U}_\mathsf{F}(w') $$
F支配は次の性質を満たす。[補題1で、F支配が満たす性質が述べられる。おおよそ選好が満たすべき性質が列挙されている?][補題2では、義務の衝突に関する定理の証明に必要なF支配の性質が述べられている]
2.5 Semantics
定義6(意味論) $\mathfrak{M} = \braket{\mathsf{W,A,Choice,V,U}}$は帰結主義的モデルであるとする。$w\in\mathsf{W}$、$p\in\mathfrak{P}$、$\phi,\psi\in\mathfrak{L}$とする。このとき次が成り立つ。
- $\mathfrak{M}/w\vDash p \iff w\in\mathsf{V}(p)$
- $\mathfrak{M}/w\vDash\lnot\phi \iff \mathfrak{M}/w\not\vDash\phi$
- $\mathfrak{M}/w\vDash\phi\land\psi \iff \mathfrak{M}/w\vDash\phi \text{ and } \mathfrak{M}/w\vDash\psi$
- $\mathfrak{M}/w\vDash\Box\phi \iff \forall w'\in\mathsf{W}: \mathfrak{M}/w'\vDash\phi$
- $\mathfrak{M}/w\vDash[\mathcal{G}]\phi \iff \forall w'\in\mathsf{W}: w\sim_\mathcal{G}w' \Rightarrow \mathfrak{M}/w'\vDash\phi$
- $\mathfrak{M}/w\vDash\odot^\mathcal{F}_\mathcal{G}\phi \iff \forall K\in\mathsf{Choice}(\mathcal{G}): K\not\subseteq[\![\phi]\!] \Rightarrow \exists K'\in\mathsf{Choice}(\mathcal{G})\land K'\subseteq[\![\phi]\!]\text{, (1)}K'\succ^\mathcal{F}_\mathcal{G}K'\text{ (2)}\forall K''\in\mathsf{Choice}(\mathcal{G}): K''\succ^\mathcal{F}_\mathcal{G}K' \Rightarrow K''\subseteq[\![\phi]\!]$
2.6 Validities
補題3(妥当性) 次の諸定理が成り立つ。[省略。標準義務論理でも成り立つ定理が列挙されており、義務の意味は標準義務論理とそれほど離れていないことが示されている]
公理化については本稿では取り扱わない。またここで挙げた定理のなかには、異なる義務演算子間の関係に関する妥当式はない。これについては3節で扱う。
2.7 The Prisoner’s Dilemma
われわれの義務論理を用いれば、囚人のジレンマを正確に記述することが可能となる。「各プレイヤーは自分の関心に従えばナッシュ均衡を実現させるべきだが、集団の関心に従えばパレート最適な結果を実現させるべきだ」と言うことが可能となる。
[囚人のジレンマにおける「両方とも自白すべきだ」という直観に反する帰結に対して、「『べき』の意味を明確化すると、両方とも自白しないべきだと言うこともできる」と、われわれの直観を拾えるようになっている]
[「べき」の意味を関心に相対的だとした点が効いている。フィンレイの目的関係理論と共通する発想だろうか]
3. On Conflicts of Obligations
最後に、$\odot^\mathcal{F}_{\mathcal{G}_1}\phi\land\odot^\mathcal{F}_{\mathcal{G}_2}\lnot\phi$が矛盾であるような正確な条件を述べる特徴的な定理を提示しよう。この定理は、「ある規範とその否定規範が相互に排他的であるかどうかという問題に答えるために、われわれは規範の可能な共存に対する基準を与えるべきである」(von Wright 1963, 140)という、フォン・ウリクトが提起した問題に部分的な解答を与えるものである。
定理1 $\mathcal{G}_1,\mathcal{G}_2\in\mathsf{A}$とする。このとき次が成り立つ。
$$ \vDash\lnot((\odot^\mathcal{F}_{\mathcal{G}_1}\phi)\land(\odot^\mathcal{F}_{\mathcal{G}_2}\lnot\phi)) \iff \mathcal{G}_1\subseteq\mathcal{G}_2 \text{ or } \mathcal{G}_2\subseteq\mathcal{G}_1 \text{ or } \mathcal{G}_1\cap\mathcal{G}_2=\emptyset $$
4. Conclusion
2.7節においてわれわれは、道徳的状況としての囚人のジレンマを取り上げ、一人の行為者は異なる利害関係集団(行為者自身、およびすべての行為者の集団)の観点から衝突する義務をもちうることを示した。3節においてわれわれは、まったく同一の集団の関心において行為する二つの集団のあいだの義務の衝突は少なくとも三人の行為者を含む状況においてのみ生じうることを示した。両方の集団に属する行為者がジレンマに陥るのである。彼らは自分の好意を一方の集団に合わせるのか他方の集団に合わせるのか? この状況は少なくとも三人の行為者が存在するときにのみ生ずるという事実、および、囚人のジレンマにおいては二人の行為者が存在するという事実は、義務論理において複数行為者の状況を研究することの重要性を強調するものである。義務の衝突は、複数行為者の状況においてのみ生ずる。
文献
- Kooi, Barteld, and Allard Tamminga. “Conflicting obligations in multi-agent deontic logic.” International Workshop on Deontic Logic and Artificial Normative Systems. Springer, Berlin, Heidelberg, 2006.
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「stit」には定訳がなくアルファベットでそのまま表記することも多いが、「stit理論」を「保証理論」、「see to it that φ」を「φであることを保証する」と訳す例もある。 ↩︎