哲学覚書

Cappelen & Dever (2019) の覚書

8. Generics and Defective Reasoning

8.1 Introductoin: What are Generics?

  1. Prime numbers have exactly two factors.
  2. Crows ate the apples from my tree.
  3. Dinosaurs are extinct.
  4. Earthquakes are common along the Pacific Rim.
  5. Philosophers are interested in questions about epistemology and metaphysics.

8.3 Some Interesting Experiments

大まかに言って、人々は比較的弱い証拠に基づいて総称文を受け入れがちだが、総称文からかなり強い結論を推論しがちでもある。例:「モーセスは銀の毛皮をもつ」(モーセスは架空の動物)。70%以上のモーセスが銀の毛皮をもつと聞かされた場合、人々はこの総称文を受け入れる傾向がある。しかしこの総称文を聞かされた人々は、90%以上のモーセスが銀の毛皮をもつと推論する傾向がある。

8.4 Generics: Interaction of Meaning and Epistemology

なぜこのような現象が起こるのか。いくつかの説明が考えられる。

1.

総称文の意味を推論主義的に考えると、こうなるだろう。

  • 導入規則:70%の鳥がFであるならば、鳥はFだと結論してよい。
  • 除去規則:鳥がFであるならば、90%の鳥がFであると結論してよい。

これが正しいとすると、総称文はtonkと同じようにまずい言語表現だということになる。

2.

「鳥は飛ぶ」は「総称的に多くの鳥は飛ぶ」のことだと考え、通常の量化子と同じような意味論をもつと考える。この場合、他の量化文と異なり、総称文はきわめて曖昧かつ文脈依存的な言語表現だということになる。総称文の意味は複雑であり、それゆえにわれわれは認知的錯誤を犯しやすくなる、と考えられる。

3.

総称文の意味自体に何かまずいところがあるのではなく、単にわれわれの使用法がまずいのだ、という立場もありうる。意味論的には、「虎は縞模様だ」は「多くの虎は縞模様だ」という統計的なことを表しているだけなのでまずいところはない。ただ語用論的に間違ったことを含意することがあるとされる。

例えばハスランガーは、「Ks are F」は「Ksは、Ks自体についての何か重要な事実のおかげで、Fである」ということを語用論的に含意すると考える。このために、「女性は従順だ」のような総称文を使用するとまずい、という結論が導かれる。[*ハスランガーは総称文を必ずしも統計的一般化の文とは考えていないはずだが、なぜかこの本だとそう考えていることになっている。]

「虎は縞模様だ」は「多くの虎は縞模様だ」ということしか表さないのに、間違った含意までもってしまう。これはなぜか。グライスの格率のどれに違反しているがゆえにそうなるのか。これはあまり明らかでない。

4.

まずいのは言語でもコミュニケーションでもない(意味論・語用論ともにまずいところはない)。まずいのは、認識論についてだ。われわれは単に、統計的推論が苦手なのである。

「モーセスは銀の毛皮をもつ」は「多くのモーセスは銀の毛皮をもつ」という意味にすぎないのに、われわれはこの比較的弱い証拠から「モーセスであることと銀の毛皮をもつこととのあいだに何か必然的な関係があるに違いない」と強い結論を導きがちなのだ。よって為すべきことは、総称文に気をつけることではなく、「弱い証拠から強い結論を導かないようにする」「統計的推論に強くなる」ということだ。

この立場を取るためには、「われわれは統計的推論について間違えがちだ」というのを経験的データを集めてきちんと検証しなければならない。

文献

  • Cappelen, H., & Dever, J. (2019). Bad language. Oxford University Press.
2021年5月19日
2021年8月14日
#philosophy #language